こんにちは!ふくみみです。
今日は映画のご紹介。
「きっとうまくいく」というインド映画をご存知でしょうか。
公開は2009年。インド映画歴代興行収入1位を記録し大ヒット、スティーブン・スピルバーグからも大絶賛されアカデミー賞16部門を受賞したそう。
舞台はインドのエリート工科大学。寮で同室となった新入生3人(ランチョー、ファルハーン、ラージュ)のドタバタコメディ青春群像劇。
大人の事情が自殺を招く
物語の一つの重要な要素として、現代社会の教育の闇を描くいています。ふくみみはこれが大変印象に残っています。
物語の中で、学生1名が自殺する。
富と名声のみに価値を置く学長の偏見に満ちた教育方針により、彼が興味を持ち情熱を注いで取り組んできた発明をくだらないものと一蹴し、落第させる。
ランチョーは学長の鼻をあかし彼のアイデアが素晴らしいことを証明するため、未完成のまま放り出された作品を研究し完成させるが、時すでに遅く絶望した彼は自室で首を吊っていた。
ランチョーは、勉強は富や成功のためではなく、自分が学びたいと思うから学ぶものだと主張する。自分の興味のある方面に向き合い、情熱を持てるところでは自らどんどん知識を得たいと思うもの。それが学びの場である。意欲が湧かず成績が上がらないのは、それが本当に自分が学びたいものではないからだ。
けれども学長は理解せず、学生たちを追い詰める。
他方、ファルハーンとラージュも自分に嘘をついていた。
ファルハーンは本当はカメラマンを目指したいのに、親の強い希望と期待によりエンジニアを目指さざるを得なかった。親は息子に過剰に期待し、勉強の環境を整えるため高価なエアコンを設置し、高価なPCを購入するなど、自分たちを犠牲にしてでも息子が成功するため、息子のために支援をしているつもりだったが本人はプレッシャーにしかならず、エンジニアにはなりたくないなど間違っても口にすることができない。
ラージュは、実家がとてつもなく貧乏、父親は寝たきり、姉も嫁の貰い手がない。息子がエンジニアになれば貧乏から救ってくれる、もしなれなければ一家は絶望的な状態になるとのプレッシャーから、ラージュは常に心に恐怖を抱えている。自分が失敗すれば家族もろとも地獄行きなのだ。
恐怖から逃れるため、勉強ではなく神頼みにのみ情熱を注ぎ成績は伸びず常に最下位。
ランチョーは2人に自分に向き合い、自分の情熱に正直になるように主張する。
このエピソードから感じ取れるのは、大人の事情がいかに子供に影響を与えるかということである。
自分の教育方針の正当性を過信し子供の本当にやりたいことを軽んじる大人たち。
それにより悩み、自信を失い、自分を曲げざるを得ない子供。
けれどこれは子供に限ってのことではないです。
大人社会も人間関係の上で同じことが起こっている。
それにより「鬱」になる大人が後を絶えない。かくいうふくみみもそうですが・・・。
みんな自分の主張を持っている。自分の情熱を持っている。
他人はなぜかそれを認めることができない。
自分はこう。あなたはこう。みんな違ってみんないい。
なんてことは現実には難しい。
ランチョーのような考えがデフォルトになることが求められるけど、現実には難しい。
実際、自分もランチョーのように振る舞えるかといえば、自身はない。やっぱり「マウント」をしようとしてしまうし、お金を考えずに自分に正直に生きるなんてことは現実には難しいのです(「マウント」については、被害者側の意見が多いけど「マウントしてしまう自分(本当はしたくないのに)」に悩む人も多いのではないかと思っている)。
けれども・・・この「現実には難しいよね」というのが世の中が変わらない原因なのです。「「やろう!」と思えばできるんだよ!」という大人が増えれば世界は変わるのではないか。
それが「きっとうまくいく(all is well)」のおまじない。心の拠り所。
辛いことがあっても、グッと堪えて「きっとうまくいく」と唱えれば、きっとうまくいく。
映画の中では本当にうまくいく。当然だ、フィクションなんだから。
でもうまくいく工程にとても身につまされるものがあり、リアリティのある描き方がされている、とふくみみは思うのです。
アーミル・カーンがいい。
「教育問題の闇」の話からなんだかズレてきてしまいましたが・・・最後に一言だけ言いたい。
主人公ランチョー役のアーミル・カーンが非常に良い。
調べると当時40代で大学生役を演じるために毎日水を4リットル飲んでみずみずしい身体を作り上げたとか!
そんなエピソードも素晴らしいですが、ふくみみとしては単に顔がたまらない(笑)。
鼻から口の間の短さがたまらんのです。