こんにちは、ふくみみです!
以前、「ポモドーロ・テクニック」について書きました。
読み直したらこんな言葉で締め括っていました。
「皆さんも、25分作業、5分休憩、などの表面的なことではなく、もっと本質的に時間について考えてみてはいかがでしょうか?
この本を読んで実践してみると、更に生きることが楽しくなるのではないでしょうか!」
なんて恥ずかしい!
この頃は始めてまだ1週間くらいだったんです。大して理解もしていないのにどの口が「本質的」などと!と今振り返ると思います。
ポモドーロテクニック、続けていまして、今さらなる境地に達しております。
新たなる発見がありましたので、ここに書かせていただきます。
集中し出した時に休憩のタイマーが鳴ることの意義について
こちら以前も書きましたが、25分作業すると5分休憩のタイマーが鳴るのですが、このサイクルが少々煩わしく感じるのです。
最初ダラダラと始めた作業が、ちょうど集中し始めたあたりで「ピ・ピ・ポーン」と休憩の合図。
ポモドーロ・テクニックのルールでは、タイマーが鳴ったらどんなに作業が中途半端でも一旦手を止めなくてはなりません。
これが、感情的にとても難しいのです。
集中が途切れる前に一気に終わらせた方がいいのではないか?効率よく作業するための方法なのに、5分後またモチベーションの構築から始めなければならず、逆に非効率なのでは・・・とつい愚痴りたくなってしまいます。
「時間」は仕事上にあるだけではない。
そこで、ふと気付きました。
このテクニックの制作者フランチェスコ・シリロは、長期の実験と検証によって最終的に「25分作業、5分休憩」のサイクルを作り上げたのです。その過程で同じような経験は間違いなく起こっているはずです。
それでも自信を持って(著書を読めば自信の程が分かります)このサイクルを推してくるのです。
きっとそこには何かもっと深い考察があったに違いない。
何だろう・・・。
ふと、これは生きる上での時間術だ、という言葉が浮かびました。
「作業」「仕事」「効率」などの言葉に目が眩んで気付かなかったけれど、人が生きる時間というのは仕事の時間だけではありません。そして「ポモドーロ・テクニック」は「時間管理術」であり、「仕事の時間管理術」ではありません。
このテクニックを仕事にのみ当てはめていた。短期的・短絡的思考だったなと思います。
つまり、生きる上で自分が完全に時間を思い通りにできることなど不可能に等しいのです。
人生は邪魔されてばかり。その度に小さなストレスが溜まる。
ポモドーロ・テクニックとは、もっと広く「生きる」ということにおいて、自分でコントロールできない時間の区切りに対応する術を身につける訓練なのではないかしら。
25分が経過し、強制的に手を止めさせられるーーー人生においてそのようなことはたくさん思い浮かびます。
ご飯の時間だからと、公園で楽しく遊んでいたのに無理やり手を引っ張られる。もっと遊びたいんだと泣いても許してもらえない。
人は時間を、他人の時間価値観とも共有し折り合いをつけながら進んでいかなければなりません。
もし「すべての時間を自分の思い通りにしたい」と思いながら生きていたら、ストレス三昧で気が狂うのです。
うつ改善に!
ふくみみはうつ持ちだけれど、この鬱の原因、ストレスの大元の原因を探るとやはり「何をやっても思い通りにいかない」「何をやっても他人に否定される」などの自己否定感からくるものです。
ポモドーロ・テクニックを実践しているうちに「時間て邪魔されてナンボのものなんだ!」というある種の悟りが生まれました。それはすなわち「人生は邪魔されてナンボのもん」です。
たった今も、私の気持ちを理解してくれない上司に対しての不満が頭から離れず、でもその状態って自分が苦しいので何とか解消したい・・・と考えていたところ、ふと、ポモドーロ・テクニック中の感情に似ているのでは?と思いついたのです。
人生は思い通りにいかなくてナンボのもんだ!
これは、ただの効率化のための時間管理術ではなく、生きている時間を快く過ごすための訓練メソッドだと思います。
気づいたからには、集中の真っ只中でタイマーが鳴った時、「こういうもんだ」といい意味で諦め、再開後にモチベーションが持続しているにはどうすれば良いか、など考えれば良いかも!