こんにちは、ふくみみです!
ふくみみは人と会うことが苦手です。
人が嫌いではなく、むしろ好きなのですが、1人でなんでもこなしてしまう方が楽、楽しいと考えてしまいます。
大事な打ち合わせも「会うよりメールの方がいい」。
なぜなら、会って話すと必要以上に気をつかってしまい、言いたいこと言うべきことの半分も出せなくなってしまうからです。
これ、「HSP」あるあるなのだそうです。
先日、仕事上の大事な決め事を行うにあたり、先方から「オンラインで良いのでミーティングをしましょう」と言われました。
ふくみみとしては、大事な決め事だからこそメールベースで決めたかった・・・。
アイデア出しなど、会話の中で広がることであれば良いのですが、お互いの意志を確認するような話なので、むしろ会話をしながらだと相手に気をつかって自分の考えを妥協してしまう可能性があります。
ふくみみの意志が弱いからだ・・・と自己否定感、劣等感でいっぱいになりました。
でも。
そもそも何故、「大事な話は会わなければならない」という考えが正解となっているのでしょうか。
世の中には人と会って話をするのが苦手な人も一定数いるはず。
なのにその人たちのやりやすい方法を取ることがなぜ悪とされるのでしょうか。
よくよく考えたらおかしい・・・なぜふくみみの方が否定されなければならないのか納得がいかない・・・。
と言うわけで、このことについて少し考えてみました。
「人と会って話す」時の脳の使い方と社会マイノリティ
なぜ「人と会って話す」ことに得意不得意があるのか。
文章だと入ってくるのに人の話は全く入ってこない、または人から説明されると入ってくるのに文章だと全く入ってこない、両者どちらもいるかと思いますが、この得意不得意には脳の使われ方が関わっているとのこと。
この件について論を立てるには更なる深い研究が必要になるので、「どうやらそれぞれ使い方が違うらしい」と言うだけに留めさせていただきます。
参考書籍はこちら。
脳の使われ方によって、話すのが得意か文章が得意か分かれるところですが、これは「個性」でしょう。
近年ではLGBTマイノリティも個性として認識が進み、理解や配慮がされるような社会になってきました(やっと!)。
ではこの「脳の使われ方による個性」も同じではないでしょうか。
まだまだ社会は、表に立つ人、人と接することが大好きな人がもてはやされている現実があります。
引きこもりは認められず、なんとか「みんなの中で」個性を作るように仕向けられます。
でも、1人だからこそ実力が発揮できる、と言う人はたくさんいるはず。
ふくみみもそのタイプで、「みんなの中」にいると途端にできなくなってしまう事がたくさんあります。
これって、「マイノリティ差別」なのでは???
幸い現代は1人でも社会の一員として回るシステムが発展してきました。
事務仕事もリモートで可能になりました。
わざわざ苦痛を感じて「みんなの中」に居なくても仕事が出来る時代です。
もちろん、そういう人たちも人と接したくないわけじゃない。
人との接し方もどんどん多様化して、色々なタイプの人に当てはまる人付き合いが生まれているはずです。
それなのになぜ「大事な話は会って話さなければならない」のが常識、なのでしょうか???
この価値観、変えていきたいなあ〜〜と思うのです。
なぜ「会って話す」事が大事なのか
そもそも、なぜ「大事なことは会って話す方がいい」というのが多くの人に受け入れられているのでしょうか。
よく聞くのは「文章ではニュアンスが伝わらない」から、です。
淡々とした文章では熱量が伝わらない。
それどころか相手の受け取り方によっては「怒っているのか」などの誤解を与えてしまう場合がある。
そのために絵文字やびっくりマークなどで感情も文字起こししなければならないが、ビジネスではこれらを使うことは失礼にあたるなど作法が難しい。
けれども、情報を確実に伝達するには絶対に文章の方がメリットがあるとふくみみは思います。
前にも述べた通り、会話だとその場の空気や相手の顔色で自分の伝えるべきことが言えなかったり、流されて気持ちと真逆のことを言ってしまったりすることがあります。
人間関係の強者が圧倒的に有利になります。
文章だと要点が明確でやりとりの目的がブレにくい。また、「時間を置いて回答する」など冷静な判断を保つ工夫が出来ます。
会話だと弱者は確実に相手の良いように話を持って行かれて意に沿わない決定をされてしまうリスクが大きいです。お心当たり、ありませんか。。。
・・・ふくみみはこれを書きながらも、意志の弱さの正当化か劣等生か負け犬の負け惜しみか・・・と自己否定満点な気分ですが、この価値観をなんとしてでも変えたいのです。
変えて、残りの人生を幸福に満足に過ごしていきたいのです。
その権利はふくみみのようなマイノリティにもあると思うのです。
「大事な話は会って話さなければならない」は、間違い。
要は、伝われば良いわけですよね。
努力のしどころは、苦手なことを無理矢理やることではなく、「伝わるような書き方を工夫する」というところなのではないでしょうか。
伝わって、円滑に話が進めばなんの問題もないわけですよね。
そう思って、練習としてまず「伝わる文章構造」を意識しながら書いたのがこの記事でしたがいかがでしょうか(笑)。
書きながら感情的になってきて思うようにはいってないなあ〜と自覚はあります。
そしてめちゃくちゃ時間がかかりました!!!
「伝える文章を書く」ということがいかに難しいか、いかに多くの努力を必要とするものなのかという事が実感できました。
・・・続くかなあ?笑
直接はこの記事の内容と関係ないですが、いろいろ調べて行く中で気になった本を購入しましたので載せておきます↓↓